劉曄は淮南郡成悳県の人で、光武帝の子の阜陵王・劉延の子孫である。若くして許劭にその才能を認められた(193-4年頃か)。揚州では軽俠の者たちが軍勢を抱えておりその頭目たちの中でも鄭宝が最も有力で、皇族の血をひく劉曄を担ごうとした。劉曄は宴会の場…
正史三国志を読んでいて混乱することに地名の問題があるが、淮南郡について九江郡や楚国などと記載されるのも鬼門のひとつであろう。 上記の件は端的に言えば、同じ地域が名称を変えているというだけのこと。基本的には後漢時代は「九江郡」、曹魏時代は「淮…
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