正史三国志を読む

正史三国志を読んだ感想やメモなど

2023-09-01から1ヶ月間の記事一覧

涼州反乱の整理(220年-223年)

曹操は河西回廊を支配していなかったのかも知れない、という記事を前回書いた。あるいは晩年になってその支配を進めつつあったがそこに火種を抱えたまま曹操は世を去った。そして曹丕の代になると同時に河西は燃え上がった。それも一度でなく、二度、三度と…

曹操は河西回廊を支配していたか

206年ないし209年、雍州刺史の邯鄲商が殺害された。209年-210年頃にも、酒泉太守の徐揖と、張掖太守(氏名不詳)が殺された。酒泉郡を乱したのは豪族の黃昂だが、酒泉人の楊豊は武威太守の張猛の後ろ盾を得て、郡を鎮定する。しかし「東方」にいた同族の黃華…

酒泉郡の受難(龐淯と楊豊)

蘇則について書いた続きで延康元年(220年)の涼州反乱についてまとめようと思ったのだがその以前の河西地域の情勢を再考せざるを得なくなった。具体的には酒泉郡の豪族・黄氏を考えねばならない。だが、これまた長大な記事になりそうになったため、今回はその…

蘇則の気持ち

曹操から曹丕に代替わりし、その曹丕が魏王に即位してから、皇帝となるまでおよそ10か月。その頃から涼州では反乱が頻発しその平定に功績があったのが金城太守の蘇則である。蘇則はその結果、侍中となって曹丕に側仕えする栄誉を得た。蘇則は演義には出てこ…

涼州と雍州の整理(邯鄲商と張猛)

後漢末の金城太守、魏初の侍中の蘇則。その蘇則のことを書こうとしであれば涼州の地図もあった方が良かろうとちまちまと地図を作っていたのだが、その前に一度、涼州と雍州のことを整理しておいた方がいいだろう。 以前、九州復古の記事を書いたときにも触れ…

儒者の董遇(明帝・曹叡と儒者の関係)

タイトルは大仰だが、サラッと書きたい。 前回、軍師祭酒について調べたがそこに正体不明の軍師祭酒・董蒙なる者がいた。また、軍謀祭酒の董芬なる者の記述も見つけた。 董蒙と董芬、字面が似ていると言えば似ている。これは同一人物なのではないかとハタと…