正史三国志を読む

正史三国志を読んだ感想やメモなど

文士伝

次の記事を書こうとして調べものしていたところ
気になる別のテーマが出てきたので、そちらから書く。

 

基本的に、史料間で矛盾のないものは
史実として扱っていきたいところだが
ある史料自体に潤色や捏造の疑いがあれば
その史料に載るすべての記述が捨てねばいけないか。

 

文士伝(文士傳)のことである。
文士伝については三国志では15か所ほどで注に引かれるが
王粲と阮瑀に関するものについては
「虛偽妄作」「甚妄」として裴松之が一刀両断している。
では、他の13か所の記事も無視すべきなのか。

 

その15か所を振り返る。

 

①【曹休伝注】曹休の曾孫の曹攄についてその経歴を書く。
②【荀彧伝注】禰衡の逸話を書く。
③【管寧伝注】何楨の経歴、子孫を書く。
④【任峻伝注】棗祗の子孫を書く。
⑤【曹植伝注】丁廙の経歴や、曹操との逸話を書く。
⑥【王粲伝注】王粲が劉琮に降伏を勧めた詳細を書く。
⑦【王粲伝注】阮瑀が曹操に仕えた逸話を書く。
⑧【王粲伝注】劉楨の父親の経歴を書く。
⑨【吳主伝注】鄭札の経歴とその子孫を書く。
⑩【孫桓伝注】孫桓の孫の孫丞の経歴を書く。
⑪【顧雍伝注】殷基とその子孫を書く。
⑫【朱桓伝注】朱異、張純、張儼の逸話を書く。
⑬【張溫伝注】張溫の姉妹の経歴を書く。
⑭【陸抗伝注】陸抗妻張氏と、子の陸景の経歴を書く。
⑮【孫綝伝注】華融とその子孫の経歴を書く。

 

この中で人物の会話を描いているのが②⑤⑥⑫で、
そのうち⑥⑦が裴松之の批判を受けた。
確かに内容はおかしい。
そのイメージがあるため、三国志を読んでいて
文士伝の記述に差し掛かるたびに
「確かこれは要注意な史料だったな」と思いながら
ページをめくる。

 

だがあらためて1つ1つ読んでいくと
端的に経歴、事績をまとめているものが多く、
果たして本当に怪しい史料なのかと疑問を抱いた。
とりわけ、呉のマイナーな人物を取り上げているのが
こちらとしてはありがたい。

 

そう、記述の対象となった人物は3グループに分かれる。


1)建安時代の文人
2)魏末~西晋のそこそこ名門の家系
3)呉のマイナー系

 

後漢書の注にも文士伝の記載があり、
応劭、蔡邕、朱穆についても記事があったことが窺える。

 

さて、次に文士伝の著者を考える。
三国志では
①の場面では「張隱文士傳曰~」、
②では「張衡文士傳曰~」とあり、
それ以降は著者は併記されない。
ただし⑥⑦の批判において裴松之が著者を批判し、
その名前を「張騭」としている。

 

後代の書目を見ると下記となる。

 

隋書 :「文士傳五十卷張隱撰。」
舊唐書:「文士傳五十卷張騭撰」
新唐書:「張騭文士傳五十卷」
宋史:「張隱文士傳五卷」

 

三国志集解を見ると
太平御覧の書目に
「張隱文士傳」「張鄢文士傳」「張騭文士傳」とあるとして
この3つは同じ書物だと断じている。

 

そして、張隱が晋書陶侃伝に見えること
張騭が鍾嶸の詩品に見えることも書く。

 

陶侃伝を見ると、彼は330年頃に陶侃の參軍となっている。
詩品については私の力量では追いきれない。

 

三国志集解に戻ると、そこではいろいろ注釈があるのだが
張騭が1人の人物であること、文士傳が1つの書物であることは疑われない。

 

私はそこが気になる。
なぜ裴松之は注を引き、
最初は張隱、次は張衡、
そして批判するときに張騭と書き分けたのか。
もちろん彼のせいではなく、伝写の際のミスの可能性もあるが。

 

もしかしたら2つの文士傳があったということはないのか。
1つは張衡(張騭)が作者で、
後漢末の人物たちの逸話を潤色して描く。
もう1つは東晋の張隱が作者で、
呉や西晋末の人物の経歴を淡々と描く。

 

そのような想像をしてみたのである。
だからこそ裴松之は、わざわざ取り上げて非難する一方で、
有益な書として頻繁に引いたのでは?
そもそも2つの別の書物だったのだから。

 

いや、あるいは
経歴を描いている部分は信憑性があり、
その一方で会話などになると
脚色が強まる書き手だったということなのか。

 

まぁ結論は出ないのだが、
文士伝は2つの書物と思えるくらい、
信憑性の高そうな記事も多かったよ、とメモを残す。

 

ただ、最後に1つ。
文士伝は華譚が華融の次子であるかのように書く。
一方で晋書の華譚伝では彼は華融の孫である。
年齢差的なものを考えると、私には晋書の方が正しいように思える。
「もう1つの文士伝」にもそういう箇所はあるだろうということを覚えておこう。

 

◆※追記。三国志には文士伝のタイトル以外に「文士」という言葉はほとんど出てこない。ただし時代を下って晋の頃からはそこそこ使われている印象を抱いた。書のタイトルがかぶることもあり得たのでないか。